昨日(6月9日)は、静岡県沼津市出身の歌人、明石海人(あかしかいじん、1901〜1939年)の命日でした。
海人は、片浜村立尋常小学校(現・沼津市立片浜小学校)から沼津町立沼津商業学校(現・静岡県立沼津商業高校)に進み、静岡県静岡師範学校(現・静岡大学)を経て、教員となりました。
私生活においては、同僚の女性と結婚し、2人の子どもにも恵まれましたが、26歳の時にハンセン病と診断されてしまいます。
ハンセン病は当時、不治の病と考えられていてました。
国の強制隔離政策によって、故郷と家族を捨てざるを得なかった、悲しく過酷な運命に翻弄されながらも、彼は最後にハンセン病を「天刑」であるとともに「天啓」でもあったとの境地に辿りつきます。
多くの短歌を残し、日本文学界に多大な影響を与えた海人の作品や資料などは、現在も各方面で大切に守られています。
今回は、その海人の命日に合わせ、彼の歌碑がある沼津千本公園に隣接する千本プラザにおいて「明石海人(歌人)とハンセン病を学ぶ会」を、動物介在活動ぷらす様と共催させていただきました。
ぷらす様のご尽力により、国立ハンセン病資料館の金貴粉様の講演会も行われ、テレビや新聞の取材を多数いただく等、大きな反響をいただきました。
また、田川も会の開催に合わせ、1939年に刊行された歌集『白描』の序文をテーマにした作品を完成させました。
海人の思いに向き合い、心を込めて制作した作品、「白描」。
画像では伝わらない表現が多くございますが、『白描』の序文とともに、ここで紹介をさせていただきたいと思います。
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「白描」
田川誠 2018.6.9
キットパス、リキテックス、顔料、紙
「明石海人(歌人)とハンセン病を学ぶ会」のために制作。
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明石海人『白描』序文
癩は天刑である。
加わる苔の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呻吟しながら、私は苦患の闇をかき捜つて一縷の光を渇き求めた。
-深海に生きる魚族のやうに、自らが燃えなければ何處にも光はない-さう感じ得たのは病がすでに膏肓に入ってからであった。
齢三十を超えて短歌を學び、あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもって感じ、積年の苦澁をその一首一首に放射して時には流涕し時には抃舞しながら、肉身に生きる己れを祝福した。
人の世を脱れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、明を失って内にひらく青山白雲をも見た。
癩はまた天啓でもあった。
※用語解説
癩(らい):ハンセン病のこと。
天刑(てんけい):天がくだす刑罰。天の制裁。天罰。
笞(しもと):罪人を打つ刑に使った木製のむち。
嗚咽(おえつ):声をおさえて泣くこと。むせび泣き。
慟哭(どうこく):声をあげて激しく嘆き泣くこと。
呻吟(しんぎん):苦しみうめくこと。
苦患(くげん):地獄におちて受ける苦しみ。
一縷(いちる):細糸一本のように今にも絶えそうな。
何處(いづく):どこ。いずこ。
膏肓(こうこう):からだの奥深いところ。ここに病気が入ると治らないという。
山川草木(さんせんそうもく):山や川、草や木など、人間に対しての自然を総称していう語。
苦澁(くじゅう):事がはかどらず、苦しみ悩むこと。
流涕(りゅうてい):涙を流すこと。また、激しく泣くこと。
抃舞(べんぶ):喜びのあまり、手を打って踊ること。
青山(せいざん):樹木が青々と茂っている山。
白雲(はくうん):白色の雲。
天啓(てんけい):天の啓示。天の導き。神の教え。
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Peter and Joseph 深澤慎也
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